阿弥陀さまに抱かれて(121)

-12月の法話-

~まかせる~

<他力の信心>

 

 本願寺第8代・蓮如上人の『御文章』に「聖人一流の御勧化(ごかんけ)のおもむきは、信心をもって本とせられ候ふ」とあります。親鸞聖人がお示し下さった浄土真宗は「信心」を根本とします。その信心は他力の信心です。

 

 親鸞聖人は、信心を「無疑心」と表されました。無疑心とは、自力のはからいが阿弥陀仏のはたらきで取られてしまった心のすがたです。

 

 

<小林一茶>

 

 俳人・小林一茶は、1763年、長野県柏原の生まれで、江戸時代後期の人です。あまり知られていないかもしれませんが、一茶は浄土真宗の教えをとても喜び、お念仏を依りどころに人生を送っていきました。

 

 一茶は、大切な親と子との死別の悲しみを、何度も味わっています。3歳で母を亡くし、39歳の時には父が不治の病に罹り、医者にも見放され亡くなっていきました。その時は、父の病気平癒を仏さまに祈る現世祈禱に頼ったようですが、父の病は回復せず、亡くなりました。

 

 52歳の時、当時ではかなりの老齢ですが、28歳のきくと初めての結婚をしています。その時「五十聟(むこ) 天窓(あまた)をかくす 扇かな」という、少しユーモラスな句を詠んでいます。頭はかなり薄かったのでしょう。

 

 54歳で、長男の千太郎が生まれましたが、一ヵ月もしない内に亡くなってしまいます。その2年後56歳の時、長女のさとが誕生します。その年の正月の句が「這え笑え 二つになるぞ けさからは」です。よく親心が出ていますね。

 

 しかし、さとも、次の年57歳の時、突然の病で命終えます。その時の心情を一茶は「露の世は 露の世ながら さりながら」と詠んでいます。露の世とは、諸行無常の代名詞で、露は日が出ると儚く消えるので、この世に等しいということを表しています。「思い切りがたきは恩愛のきづな也けり」という言葉も残しています。

 

 

<阿弥陀さまにまかせる>

 

 この頃にはすでに、一茶は浄土真宗の教えに出遇い、南無阿弥陀仏のお念仏をいただいていたようです。この年の暮、有名な『おらが春』の終りの句に「ともかくも あなた任せの としの春」とあります。あなたとは、阿弥陀さまのことです。

 

 39歳頃の、父の不治の病の病気平癒を仏さまに祈るという祈禱中心の仏教観から、57歳に娘を亡くした時には、仏さまにすべてをまかせるという仏教観に、一茶の心は変わっていました。

 

 65歳で一茶は人生を終えていきますが、「年もはや あなかしこ也 如来様」と辞世の句を詠んでいます。「あなかしこ」は、蓮如上人の『御文章』のそれぞれの章の最後の言葉です。「あなかしこ也」は、人生の最後ということを表しています。この句も、一茶が阿弥陀さまとご一緒に人生を歩んで来たということがよく表れています。

 

 「阿弥陀さまにまかせる」とは、阿弥陀さまの働きに、この身をはからいなくまかせるということです。阿弥陀さまは、この私を必ずおさとりの仏にしたいと願い、その願いを成就し、今はたらいていて下さいます。阿弥陀さまのはたらきは、南無阿弥陀仏のお念仏、声の姿となって届いています。南無阿弥陀仏のおいわれを聞き、南無阿弥陀仏のお心にまかせた時、必ずおさとりの仏になる身に定まります。そこには、変わることのない温もりがあり、安心があります。

 

(住職)