<何を人生の軸とするのか>
何を一番大切なものとして生きて行くのか。それは其々考え方があるでしょう。やはり、お金・財産だ、お金がなかったら何もできない、お金がいっぱいあったら楽しいことはたくさんできるし、欲しいものがいっぱい手に入る。確かに、お金はとても大切です。しかし、お金は苦しみの原因となったり、争いの種となることもあります。
また、地位や名誉が大切だ。他よりも勝れている、高い地位にいる、そこには優越感があり、自己のアイデンティティーが満たされるでしょう。
いや、やはり健康第一だ、健康でなければ何もできないし、人生楽しくない。健康で長生き、これが一番幸せだと。そうですね、健康はとても有難く、大切なものです。
あるいは、家族やその愛情こそが自分の人生を支えるものだと考える方もいるでしょう。家族の愛情や支え合いは人生に温もりを与え、生きる力となります。
また、こんな考えもあるかもしれません。科学だ、科学万能だ、科学を依りどころとして人生を生きて行くんだ。
以上、人生の軸となりうるものを挙げてみましたが、どれも大切なもので、人生を支えるものとなりうるでしょう。
しかし、仏教は「諸行無常」と説きます。諸行無常、すなわち「この世のあらゆる物事は常に移り変わり、変化し続けている」との教えです。上に挙げた人生の軸になると考えるものも、すべて移り変わるもので、変わることない人生の依りどころとはならないのだと、仏さまは教えて下さいます。
<人生の根本の問題>
人生の根本の問題とは何でしょう。
「死の前では独りになる。独り生れ独り去っていく。財産作りに骨身をすり砕いて一生涯力を尽くしても、最後には独り淋しく去って行くしかない。最後は、誰も付き添っていくことができない。この問題に問いを持つことが仏法である」(稲城選恵和上)
命をいただいた私たちは、どんなに恵まれた人生であっても、最後はそれらを手離して、命終わって行かねばなりません。そして、命終わった私がどうなるのか、どこに行くのか、私には分かりません。ここに人生の根本問題、すなわち死の問題があるのだと、仏さまは教えて下さいます。
そして仏さまは、その死の問題を解決したところに本当の安らぎがあり、人生の意味が変わるよと教えて下さいます。
お金でも、地位や名誉でも、健康、家族の愛情でも死の問題の解決はできません。また、いくら科学・医学が発達しても死の問題を解決することはできません。
<南無阿弥陀仏が人生の軸>
私は、縁あって仏法にあい、南無阿弥陀仏を人生の軸といただいています。南無阿弥陀仏のいわれを聞き、死の問題の解決を知らせてもらいました。
南無阿弥陀仏は、阿弥陀仏のはたらきそのものです。阿弥陀仏は、あらゆるものに本当の安らぎを与えたい、あらゆるものをおさとりの仏にしたいと願い、その願い通りにはたらいている仏さまです。南無阿弥陀仏には、阿弥陀仏のはたらき、功徳のすべてがこめられているのです。南無阿弥陀仏をいただいたその時、必ずお浄土に生まれ仏に成る身となり、私の人生がお浄土の仏に成る人生に変えなされます。
老・病・死は避けられません。苦しみ悩み、悲しみも避けられません。しかし、その人生に仏さまからいただいた安らぎがあります。
(住職)