如来さまとともに(63) -2月の法話-

~お陰さまと生きる~

 江戸時代の終りから昭和の初めにかけて、鳥取県に足利源左という妙好人(浄土真宗の篤信者)がいました。源左さんは、18歳の時にお父さんがコレラで亡くなったのを機縁として、仏さまの教えを本気で聞くようになりました。そして、30歳を過ぎた頃、南無阿弥陀仏の救いをいただき、「ナマンダブ、ナマンダブ」とお念仏を喜んで、人生を送られた方です。

 源左さんの逸話の中に、こんな話があります。一燈園の西田天香さんという人との出合いです。隣の町へ講演に来られた西田天香さんの話を聞くために出かけた源左さんでしたが、用事を済ませて会場に着いた時には、既に講演が終わっていたので、止むなく宿に出かけたことでした。講演を聞けなかったことを詫びた源左さんは、天香さんの肩を揉むことを申し出たのです。

 肩をほぐしながら、源左さんが「今日のお話は、どんなお話で御座んしたな」とたずねたところ、天香さんは「お爺さん、年が寄ると気が短くなって、よく腹が立つようになるものだが、何でも堪忍して、こらえて暮しなされや。そのことを話したんだが」と言い、人間は横着なもので、自分の心のままに行動すれば、周りの人に迷惑をかけるのだから、堪忍することを身につけることが何より大切だということを話したということでした。

 しかし、この話を聞いていた源左さんが一向に反応を示さなかったので「私の話に納得がゆきませんか」とたずねた天香さんに、源左さんは「おらぁ、まんだ人さんに堪忍して上げたことはござんせんやぁ。人さんに堪忍して貰ってばっかりおりますだいな。おらにゃ、堪忍して下さるお方があるで、する堪忍がないだがやぁ」と答えたというのです。

 天香さんはその言葉を聞いて、すぐに源左さんの方に向きを変えて「あなたは私の話を聞くような人ではない」と、深々と頭を下げたということでした。

 ここには、人に堪忍してもらって、人に許してもらって生きているという頭の下がった姿が浮かびます。

 源左さんは、あまり辛いことのない穏やかな人生を送られたかというと、そんなことはありません。源左さんには三男二女の五人の子がいましたが、長男は生れて間もなく死に、次男の竹蔵は、源左さんが80歳の時、49歳で亡くなりました。また、三男の萬蔵も、その翌年に47歳で亡くなったのです。裕福な生活でもなく、このような辛い死別を三度も経験したのです。

 しかし、源左さんは南無阿弥陀仏の教えに出遇い、「源左たすくるぞ」の阿弥陀仏の喚び声、そのお慈悲をいただいていました。辛い悲しみの中でも、南無阿弥陀仏の声が源左さんに温もりを与えていたのでしょう。源左さんは「お慈悲の力はぬくいでな」と言っていたそうです。この他にも源左さんの言葉にこのようなものがあります。「困った時は、お念仏に相談しなされや」「おらにゃ苦があって苦がないだけのう」「さてもさても、ようこそようこそ、なんまんだぶ、なんまんだぶ」これが源左さんの口癖だったそうです。

 人は人の過ちをすぐ責めます。自分にとって都合の悪いことがあると、その原因を外に求め、「あれが悪い、これが悪い」と怒りを外に向けがちです。実際は、私が生きている背後には、他の多くの支え、恵みがあるのに、中々そこに目が行きません。多くのお陰さまの中にいながら、お陰さまが見えません。私たちは、どうしても自己中心的に物事を考えます。自分の都合が最優先されます。

 阿弥陀さまは、このような私たちの姿を知らせて下さいます。しかし、このような自分中心、煩悩具足の私たちを、決して責めることはありません。このような私たちであるからこそ、阿弥陀さまは、お浄土に連れて行き、おさとりの仏にするのだと願い働いていて下さいます。

 おさとりの仏に成れるはずもない私が、仏にならせてもらう。こんな幸せはありません。南無阿弥陀仏のお慈悲をいただいた人生は、「必ず仏にならせてもらう身」に定まった人生です。それは、お陰さまと生きていく人生です。

(住職)