如来さまとともに(52) -3月の法話-

~豊かな一日一日~

 豊かさとはどこにあるのでしょうか。物の豊かさとか、心の豊かさとか、いろいろ言われますが、一日一日を豊かに生きるとは、どういうことなのでしょうか。

 今月は、大阪市にある、本願寺津村別院が発行している『御堂さん』に掲載されていた、長崎県にお住まいで、南無阿弥陀仏の教えを喜ぶ女性の方が書かれたものを紹介します。

 

『いつも身近に お正信偈さま』

~境内がくぼるごと~

 お寺では、御正忌さま(親鸞聖人報恩講)が勤まっている一月のころ。もう何十年も前の話です。本堂にあちこちと置かれた手あぶり火鉢に幾人もの人が集まる、昭和の匂いが濃いころでした。

 「こげん冬の寒か日は、(農家の仕事は)何もできんけん、今日は母ちゃんの所で一日居ってよかたい。お寺さまにあげる御仏飯米は、隣に預けたけん」家族の者からそう言われて、喜んで入院中の母のもとへ急ぎました。すると母は怒り顔で、

 「おまえはちーった、ちごとる!御正忌さまの御仏飯米ばい。おまえは、今からでん、米ばもって、一座でんお寺に参ってこい」と、叱り飛ばされたことがありました。

 あの時の母の顔は、今でも忘れられません。結局、丸一日、本堂に座って仏さまの話を聞いて、病院に駆けつけました。

 「どのくらいお寺に参ったとか」と聞く母に、「最後まで座っとった」と答えると、「そりゃ良かった良かった」と迎えてくれました。「後生の一大事」を厳しく教えてくれたのです。

 母は当時96歳。それからおよそ一年後に、お浄土に還りました。

 「お寺の境内がくぼるごとまいらなんとたい」は、母の口ぐせでした。「くぼるごと」とは「へこむくらい」という意味です。お寺の境内がくぼるくらい足しげくに参れということです。

 「昔の人は偉かな」。そうやって私に参ることを勧めたのです。母は機織りの時も、糸巻をする時も「帰命無量寿如来……」と唱えるのも口ぐせでした。仕事しながらも、お正信偈さまが出てくるのです。私にとっても、お正信偈さまはいつも身近でした。

 

~リンの音が聞こえる~

 父のこともお話ししておきましょう。お寺の鐘楼堂を建てるときのこと、鐘楼堂の柱になる木が半島中探しても見つからず、総代さんも探しあぐねているとき、家の裏のマキの木を寄進すると決めたのです。

 代々、家を守ってきた何百年もの木をあっさりと伐ると言いだし、家族は「台風の時にはどうなると!」と心配しました。ところが父は「そん時はそん時。何とかなる。どうにもならん時は、親さまが助けてやらす」の一言で寄進してしまいました。

 いよいよ伐採することが決まった前日、父はその木に語りかけるように、木の側で酒を酌み交わしていました。家族やご先祖さまと語るように、その晩はお別れをしていたのでしょう。鐘楼堂が建ってからも何度も側にいき、まるで自分の息子を見るような思いで、お寺に足を運んでいました。

 晩年には、一階の部屋で休み「寝ているとリンの音が聞こえる」と言うのです。どうしてここでリンの音が聞こえるのか不思議がっていると「おまえは、本当に馬鹿やなあ。ここでお正信偈さまをあげてみろと言うことたい!」と、教えてくれる父でした。

 それから毎日欠かさずお正信偈さまをあげ、お正信偈さまで朝が来ます。そうでないと、また父から怒られそうですから。

 

 ここには、仏さまの教えに導かれた豊かさ、温もりがあるな。とてもありがたく思ったことです。仏さまの教えの中で、南無阿弥陀仏の温もりの中で一日一日を送る、そこに豊かさがあります。

(住職)