如来さまとともに㊼ -10月の法話-

~いまを生きる~

 仏教は、‟いま”を生きるという教えです。しかし、それは簡単なことではありません。私たちは、ややもすると過去を引きずり悩まされ、将来のことを心配ばかりしたり、ああなって欲しい、こうなって欲しい、あれが欲しい、これが欲しいと、こうした不安や欲望に振り回されて、‟いま”がおろそかになりがちです。

 江戸時代、滝瓢水(ひょうすい:1684~1762年)という俳人がいました。播磨国別府(兵庫県加古川市)の廻船問屋「叶屋」の跡取りとして生まれましたが、家業をほったらかしにして、遊蕩三昧に耽り、家業は没落していきました。たくさんあった蔵も一つ売り、二つ売り、とうとう最後の蔵も売って、何もかも失ってしまいました。

 「蔵売って 日当たりのよさ 牡丹かな」その時詠んだ瓢水の句です。

 ある時、すでに俳諧では名声を馳せていた瓢水のもとに、一人の禅僧が訪ねて来ました。ところが、その時、瓢水は風邪を引いていて、玄関先に「風邪を引いたので、町まで薬を買いに行ってきます」と書いた手紙を置いて、留守にしていました。

 これを見た禅僧は「風邪を引いたぐらいで薬を買いに行くとは。なんだ、悟りを開いたと言われる瓢水だが、この程度の人間か。死を怖がっているような人間では教えを請うほどのこともないわ」と言い放って帰ってしまいました。

 しばらくして、薬屋から帰ってきた瓢水はその話を聞くと、短冊に一首の俳句をしたため、「まだ近くにあられるだろうから、これを渡してくれ」と、使いの者を差し向けました。幸い、使いの者がほどなく禅僧を見つけ短冊を渡しました。すると、その句を詠んだ禅僧が、慌てて瓢水のもとに引き返し、深々と頭を下げ、自らの未熟さを恥じ、教えを請うたそうです。その時の句が、次の有名な句です。

 「浜までは 海女も蓑着る 時雨かな」

 この句は、海女はやがて海に潜り身体は水に濡れてしまう。しかしそうであっても、せめて浜までは時雨で身体を冷やさないように蓑を着て、我が身を思いやるという海女たちの姿を詠ったものです。

 つまり瓢水は「風邪気味で薬を求めるこの私を意気地のない男だとなじるのは構わないけれども、どうせ死ぬ命だからといって、この命を粗末にして良いはずはありません。賜った命です。生かされている命です。病気になった時には治療をし、疲れた時には身体を休めるなど、我が身を大事にしていくことが大切ではないでしょうか」と言っているのでしょう。その時その時を大切に生きる。その句にはそれが表わされています。これにはさすがの禅僧も恐れ入ったということです。

 私たちが生きている‟いま”とは、何なのでしょうか。それは、私たちそれぞれが立っている‟ここ”のことです。過去は過ぎ去り、もう後には戻れません。未来はまだ来ていない、分からないものです。私たちは、いま、今、いまの連続を生きているのです。仏教は、その今がどのような‟いま”なのかを教えています。

 親鸞聖人は「無明長夜の灯炬なり 智眼くらしとかなしむな 生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ」と、和讃に詠まれました。

 このご和讃は、南無阿弥陀仏の名号を、無明長夜の灯炬、生死大海の船筏であるのだとお示しになるのです。「無明長夜の灯炬」それは、私たちの人生を無明長夜に喩えられ、その中々明けることのない長い闇を、南無阿弥陀仏は、ぽっと照らす灯炬(灯火、かがり火)であると示されているのです。「生死大海の船筏」これは、私たちの存在を生死大海と喩えられ、私たちは遥か遥か昔から生死(迷い)を重ねてきているのだが、南無阿弥陀仏は、迷いの海に浮き沈みしている私たちをおさとりの浄土に渡して下さる船筏(ふね、いかだ)であると教えて下さっています。

 南無阿弥陀仏は、「われにまかせよ、必ずお浄土の仏にする」という阿弥陀仏の喚び声、はたらきです。そのお喚び声、はたらきが無明の闇を照らす灯火であり、‟いま”を照らし続けるかがり火であり、罪業が深重であっても、必ずおさとりのお浄土に渡して下さる船筏です。

 南無阿弥陀仏のおいわれを聞き、過去、未来、いまをすべて南無阿弥陀仏(阿弥陀仏)におまかせして、‟いま”を生きて行くのです。南無阿弥陀仏を称えつつ、人生を生きて行くのです。

(住職)