如来さまとともに(61) -12月の法話-

~本当の終活~

 今年も12月になりました。私たちの人生を暦に譬え、母親のお腹に宿り、この世に誕生した時を1月1日とし、命終る時を12月31日に譬えるとします。実際の暦は正確に時を刻み、一年一年がくるいなく進んでいきます。しかし、人生の暦はそうとはいえません。歳は時間の経過とともに重ねていきますが、その途中には病気をしたり、事故にあってけがをしたり、色々な変化があります。そして、一番の変化は命終る時です。人生の暦は、人それぞれ長短があります。12月31日をそろそろ迎えるだろうと分かることもあれば、12月31日が突然来ることがあります。人の命はいつ終るか分かりません。

 私たちにとって、どのような最期を迎えるかは大きな関心事でありましょう。ここ数年、『終活』ということが盛んに言われるようになりました。自分が命終る前に、これだけは済ませておきたいと、遺品の整理をしたり、必要のない物を処分したり、後に迷惑がかからないようにとの心遣いでしょう。また、終活セミナーといわれるものが各地で開催されているようです。その中には、入棺体験というものもあるようです。しかし、本当の終活とは何なのでしょうか。本当の終活とは、自分の行き先を決めることではないでしょうか。命終った自分の行き先を知らせてもらうということです。

 仏教は、死の問題の解決を説くものです。死の問題とは、命終った私がどこに行くのかということです。このことはいくら自分で考えても解決できません。どんなに科学が発達しても解決できない問題です。人知の及ばない問題です。このことをお悟りの教えである仏教に聞くのです。

 仏教には、阿弥陀如来という仏さまのことが説かれています。この阿弥陀如来は、お浄土というお悟りの世界を建立し、あらゆるものをこのお浄土に救い取り、お悟りの仏にしたいという願いを立てられたというのです。そして、その願いは十劫という遥か遥か昔に完成して、今すでに、はたらき続けておられるのだと説かれています。そのはたらきが、私たちの口に称えられる「南無阿弥陀仏」なのです。南無阿弥陀仏は、私たちをお浄土に迎え取り、仏にして下さるはたらきです。私たちはすでに、この南無阿弥陀仏のはたらきの中にあるのだというのです。

 現代社会では、死んだら宇宙のゴミになってしまうのだとか、死んだらお終い、何にもなくなるのだと言って、自己の行き先に無関心な方も多いようです。でも、そこには安らぎは無いのではないかと思いますが、どうでしょうか?

 人生の終りにお浄土という行き先が決まっているということは、大きな安らぎです。安心して死んで行けます。これが『本当の終活』です。

 私たちは、どのような最期を迎えるか分かりません。しかし、阿弥陀仏は私たちの死に様を一切問いません。どのような死に方をしても、必ずお浄土に救い取り、仏にして下さいます。

 「命終ったら宇宙のゴミになるとか、何にもなくなるとか」という人生と、「命終った時には、お浄土に往き、お悟りの仏になる」人生では、いま歩んでいる人生の意味がまったく違います。

 皆さまは、どうお考えになりますか?

(住職)