如来さまとともに(59) -10月の法話-

~死の問題の解決~

 「宗教は何の役に立つのですか?」「科学がこんなに進んだ時代に宗教なんか私には必要ありません」

 こんな声が聞こえてきそうです。確かに、宗教を持たないで生きている人が多くいるのですから、ただ生きるために、衣食住とかの意味で、宗教が必要だということはありません。また、宗教を持たなくても裕福に生きている方もおり、立派な仕事をしている方もいます。そして、名誉や地位、高い役職を得ている方もいます。このことは、そのようなことで宗教が必要なのではないことを示しています。しかし、本当に宗教は必要ないのでしょうか。

 なぜ宗教があるのか。宗教哲学者の西谷啓治氏(元京都大学教授)が書かれた『宗教とは何か』という本の中に「宗教の本義は、死の問題の解決にある」という意味のことが書いてあります。

 仏教は、まさに死の問題の解決を説く教えです。死の問題の解決といっても、どのような死に方をすればいいか、というようなことではありません。近年、よく「終活」ということが言われています。どうすれば人に迷惑をかけないで死んでいけるか、自分の葬式はどうするか、自分のお墓はどうするか、また、自分の持ち物をどうするか、財産をどうするか等。それも大切なことかもしれませんが、死の問題の解決とはそういうことではありません。

 死の問題の解決とは、命終った私はどこに行くのかということの解決です。このことは、いくら自分の頭で考えても解決できません。科学でも解決できないし、知識・教養でも解決できません。つまり、人知では間に合わないのです。仏さまは、そのおさとりの智慧で死の問題の解決を説いていて下さるのです。

 近年、医学の長足の進歩により、今まで治らなかった病気も治るようになり、科学の進歩はめざましく、今まで解らなかったことも解明され、手の届きそうにもなかった技術も開発されました。しかし、それによって、人間が少し憍慢になって来たように思えます。

 仏さまが説いて下さる死の問題の解決は、私たちの人生に決して壊れない安らぎを与え、大きな意味を与えます。それは、私たちにいのちの行方を教え、命終った時にはおさとりの仏になる人生を与えて下さいます。

 死を間近に控えた53歳の女性に、80歳になるお母さんが「もう何も間に合わなくなったのう。それで、今日はお念仏さまを持って来たぞ。辛かったら称えんでもええ、聞かせてもらえや、聞かせてもらえや」と言いながら「ナンマンダブツ、ナンマンダブツ」とお念仏を称えられたとのことです。

 この女性は、53歳にして死と直面しなくてはなりませんでした。もう治る見込みのない病でありました。お見舞いに来られた年老いたお母さまは「もう何も間に合わなくなったのう」と、眼に涙をいっぱいためて仰ったに違いありません。それまで当て頼りにしていたものが何も間に合わなくなってしまう。私たちは何を依りどころとして生きていき、死んでいくことができるのでしょうか。

 私たちが常識的にこれさえあれば大丈夫だと考えている、お金・財産、地位・名誉、家族・愛情、知識・教養など、すべてのものが何の役にも立たなくなる時が必ずやって来る。もう何も間に合わなくなった53歳の我が子に、お母さんは南無阿弥陀仏のお念仏を持っていきました。では、南無阿弥陀仏とは何なのでしょうか。

 南無阿弥陀仏には、私たちが仏になるすべての功徳が具わっているのです。阿弥陀仏の慈悲の願いは南無阿弥陀仏と成就したのです。南無阿弥陀仏は「我にまかせよ、必ず救うぞ」「あなたを仏にする仏がすでにここにいるよ」という阿弥陀仏の喚び声です。

 人生で分かっていることが二つあります。一つは、人間は必ず死ぬということ、そして、いつ命終るか分からないということです。だから、仏さまは「まず死の問題を解決して人生を送りませんか」と教えていて下さいます。

 私たちの世界に、おさとりの世界から、阿弥陀仏が南無阿弥陀仏となってはたらき続けています。南無阿弥陀仏は、死の問題を解決して下さる「智慧と慈悲のはたらき」です。

(住職)